一六〇〇年関ヶ原の戦いで徳川家康は日本全土を手中に収める。
おびただしい敗北者の中で特に、薩摩、長州、土佐の三国はいつか天下をくつがえそうと心にちかう。
しかしその願いも空しく、豊臣家は滅ぼされ三代将軍家光は鎖国を断行、二百六十年におよぶ盤石の体制が築かれた…が。
それは同時に日本が孤立し世界の発展から取り残される事でもあった。
百年後わずかに開かれた長崎出島から世界をのぞいたのは、進歩したオランダ医学を懸命に吸収しようとする医学者たちであった。
それが突破口となったかのように西洋に目を向けるおびただしい人物が群がり出てくる。
それは必然的に日本国内へのさまざまな変革運動となって現れ、権力者の怒り、締めつけ、禁止、弾圧をまねく結果となり、改革者たちは老中筆頭から一郷士にいたるまで何らかの形で非業の最期を遂げるのであった。
しかし幕府がどれほどやっきになって庶民の目をふさごうと外国を見てきた漂流者を幽閉しようと海外情報はさまざまに入ってくる。
鎖国中でさえロシアやイギリスと開戦寸前までいったのである。(レザーノフ事件、フェートン号事件)
そして日本に医学を伝えたシーボルトもスパイ容疑で追放される。
幕府の膠着した政治はつぎつぎとひずみをもたらし、さまざまな改革も焼け石に水。ついに鎖国はじまって二百年目、幕府役人大塩平八郎が内乱を起こすに至る。
その直後中国がイギリスに敗れるという大事件(アヘン戦争)が起り、日本の前途を憂えた蘭学者や一部官僚は身分を超えて結集するに至るが・・・。
その団体も異常としかいいようのない弾圧を受け壊滅され(蛮社の獄)、マトモな西洋通がほとんど絶滅した頃、ついにペリーが鎖国の扉をこじ開けにやってくるのである。
新時代を担う若者たちははたしてこの危機を乗りきれるのであろうか…。
という所から幕末編がはじまりますが、物語はペリー来航八年前から描かれる。
幕末の出来事がどうして起こったのか。
登場する人物はどんな思惑、意図があり、行動したのか。
わかりやすくそれぞれの目的、交わされたであろう会話をギャグと資料に基づいた作者の見解が描いてあり、人間模様が面白い作品です。
歴史で起こった事件を暗記しただけで、中心人物がどういう経緯でその事件に至ったのか、その事件がその後どういう結果を生むことになるのか知らなかったので、そうなのか、こんなことがあってあの事件に結びつくのか、とひとつひとつが繋がっていくことに興奮します。
描き方にこんなに魅力を感じるのはなかなかありません。作品を通じて、この人物の考えていた事をもっと知りたいとか、もしはないけど、もしこの思いが上手くいっていたらどんな国のかたちになっていたんだろうと想像するのも楽しいと思います。
日本国外に追放されたシーボルト(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)とお滝の間に生まれた娘イネが女医を目指し、シーボルトの弟子であり産科医として有名な石井宗謙に弟子入りを願う所から始まります。
弘化二年(一八四五)のことでその年には、高野長英が伝馬町の獄舎に火を放って脱獄、幕府高官鳥井耀蔵(鳥居耀蔵?どっちだろう)が失脚して丸亀に拘禁されたことなどが、弘化三年には、長州藩軍学師範吉田松陰がはじめてアヘン戦争のニュースを知って腰を抜かし、外敵の脅威に驚異した孝明天皇が二百年ぶりに幕府に手紙を出して海防強化を訴えるという事が起きました。
江戸城には井伊直弼がはじめて登城します。彦根の井伊家と徳川家の関係、31歳までなんのために生きているのかわからずひっそりと過ごしていた直弼に巡ってきた大役に大いに喜んでいることが描かれています。
ペリーが来航してきたときの幕府、庶民の反応、蝦夷地の開拓案、廃仏棄釈、島津斉彬が島津藩の藩主になるのと手助けする幕府の老中、阿部正弘の改革、斉彬とジョン万次郎の対面、アメリカホワイトハウスのミラード・フィルモア大統領とペリーの日本開国を迫る作戦、吉田寅次郎、桂小五郎の足跡などが描かれています。少し脱線して描く、出産の考え方、天皇という地位、水戸家の徳川家に対する位置と尊王思想、水戸学が行き過ぎた結果の太平洋戦争への突入、髭の歴史、檀家制度などの話も面白かったです。
みなもと太郎 風雲児たち 幕末編 1巻
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